「飯田石」「池谷石」
「飯田」、「池谷」は、綱島の名主の家です。
両方の石に「卯之助」の名前が刻まれています。
天保のころ、祭りに卯之助たちが来て持ち上げたそうです。
手前のふたつも力石ですね。
(1)『港北区綱島地区地域探訪』 湘南史跡めぐりの会 〔1998.11〕 p.25
「さし石・もち石それぞれ二個ずつ計四個の自然石がある。これは南北綱島村の名主が奉納したもので刻銘がある。昔はこれといった娯楽もなく、また米俵一俵を担げぬ者はいち人前として認められない時代であった。各種の休みやお祭り夜遊びなどの時神社や、村の広場に集まり力くらべをした。「持石、力石」は持ち上げ担ぐもので、「さし石」は頭の上まで持ち上げる。」(2)『神奈川の力石 第2版』 髙島慎助/著 岩田書院 2014.2
p.29に、4つの石の刻銘、大きさとともに、次の説明文(神社に設置してあるものから転載したと思われます)が掲載されています。
「(説明文)力石の由来
江戸時代、天保二卯年、南北綱島村の名主が奉納した。その昔、御祭礼などの折に若者達が力くらべの競技に用いたと思われる。飯田家、池谷家が持ち石とさし石を、夫々一個ずつ奉納し、これを持ち上げた力自慢として力士卯之助、仙太郎の名前が刻まれている。池谷家文書の日記の中で、天保二年四月十五日の項に、この件りが記され、裏付けられている。」