光岡明著『機雷』(1981年 講談社)を読みました。

第86回(昭和56年度下半期) の直木賞受賞作品。

光岡明さんの『機雷』を読みました。

『機雷』のことは、海上自衛隊掃海母艦「うらが」が一般公開されていたときに、機雷の説明をされていた自衛官の方から教えていただいて知りました。

掃海母艦うらが

掃海母艦うらがで展示されていた機雷

物語は昭和19年11月から始まります。前月の10月に台湾沖航空戦やレイテ沖海戦が終わって日本海軍が戦力をほぼ喪失し、特攻が始まり、B-29サイパン島テニアン島から爆撃を始めたころですね。主人公の梶井は、敗色濃厚なこの時期に海防艦大東の副長に就きます。海防艦というのは、駆逐艦よりもさらに一回りも二回りも小さな船団護衛用の艦です。梶井は「守る船ではなくて闘う船に乗りたい」などと思っていますが、護衛していた輸送船団はアメリカ軍の攻撃を受けて全滅。闘うどころか守ることもできなかった梶井は、その後、機雷の敷設隊、掃海隊とどんどん前線から遠いところに追いやられていきます。機雷という海中で敵をただ待っているだけのつまらない兵器と、前線で闘うことができない自らの運命を重ね合わせる梶井でしたが、アメリカ軍の機雷はそんなつまらない兵器ではないことを知って……という話です。

一応フィクションなのですが、登場人物以外はほとんどノンフィクションみたいな感じです。

B-29 というと都市爆撃のイメージが強いのですが、アメリカ軍は「飢餓作戦」と称して、機雷も B-29 で大規模に投下していたそうです。投下された機雷は1万1000個ほどで、終戦時にはまだ6600個ほどが残っていたそうです。主に関門海峡、瀬戸内海、日本海側の港湾入口に投下され、多数の船舶が沈められて、大陸との間の輸送はほとんど途絶しました。アメリカの機雷は、つまらない兵器などではなくて、まさに戦略兵器だったんですね。

アメリカの機雷には、船の磁気に反応するタイプ、スクリュー音に反応するタイプ、船が通ったときの水圧に反応するタイプ、それらを組み合わせたタイプなどがあり、さらに敵の掃海を避けるために、カウンターを付けて指定した反応回数後に爆発するようになっているものや、タイマーを付けて一定期間後に起動するようになっているものなどもあり、取り除くのはなかなか難しかったそうです。作中でも、梶井率いる掃海隊が木造の掃海艇で磁気掃海具を引っ張って同じ海面を16回も掃海する様子が描かれています。いつ機雷が爆発するか分からないような海面を、人が歩くほどのゆっくりした速度で何回も何回も繰り返し掃海する。それでもその海面で触雷して沈む船がでる。こんなのストレスで精神がやられそうです。

占領軍は旧海軍を徹底的に潰していきましたが、すったもんだありながらも結局掃海だけは旧海軍の掃海隊に頼らざるを得なかったみたいです。終戦後、掃海隊は一旦掃海作業を中断していましたが、占領軍の指令を受けて昭和20年9月中旬にはもう作業を再開しています。梶井が最初に乗艦していた海防艦大東も掃海に加わっており、触雷して沈没しています。アメリカの機雷の掃海は、造ったアメリカ自身でさえ不可能だというほど難しかったので、4隻のタンカーと貨物船を「試航船」として改造し、機雷が残っている航路に何度も突っ込ませるということまでやったそうです。当時は自動操縦とかリモート操縦なんてものはありませんから、人が乗って操縦しています。命がけです。

物語は昭和21年1月で終わっています。梶井のその後は分かりません。

掃海隊が現在の海上自衛隊の母体なのだそうです。

 

(参考資料)

航路啓開業務について - 防衛省
https://www.mod.go.jp/msdf/mf/007.pdf

航路啓開史 - 防衛省
https://www.mod.go.jp/msdf/mf/008.pdf